先日、娘と北海道へ帰郷した際に、道東の人口6500人程の小さな町、浜中町へ行ってきました。霧多布岬というとても美しい岬と、霧多布湿原が大きな見どころですが、凄く有名な観光地というわけではありません。隣には人口の7倍の牛の飼育頭数を誇る別海町があるものの、それ以外に誰もが知るような観光名所はありません。ここを訪問した理由は、1つはあのルパン三世の作者であるモンキーパンチ氏の故郷であり、『モンキー・パンチ・コレクション』という小さな常設展があるという話をしたら、娘が行きたいと希望した事。もう1つには、私が尊敬する道下俊一という医師が働いていた地であるという事がありました。

モンキー・パンチ・コレクションは浜中町総合文化センターの中の一角にあり、そこでは氏の初期の原画や、使用していた絵具、ルパン三世のキャラクターグッズ等が展示してありました。時期が時期なだけに貸し切り状態でゆっくり中身を見ることができました。その他、街の中にルパン三世通りがあり、いたるところにルパン三世ファミリーのキャラクターが装飾されていました。あと、日帰り温泉施設内で、恐らくここでしか手に入らないような、浜中町限定ルパン三世グッズを販売していました(思わずいくつか購入)。

次に、道下医師とはどういう人なのかということを書きたいと思います。

1953年(昭和28年)、北海道大学卒業後、研修医として北大病院に勤務していたいわばエリート街道を歩んでいた道下医師は、26歳の時に浜中町霧多布村へ大学医局の突然の指示により任期1年の約束で派遣されました。霧多布は、前年の3月4日に発生したマグニチュード8.2の十勝沖地震により大津波にも襲われ大損害を受け、多数の負傷者を出しました。その後、伝染病の発生も心配されたこの村では、その治療の経験のある道下医師が必要だと判断されたそうです。道下医師は、結婚間もなく妻と共に赴任してすぐに、当時の浜中村の沿岸部、延長52キロに点在する集落16に住む人口8000人の命を、たった一人で守らなければならないという、過酷な僻地医療の現実に直面します。昼夜絶え間なく訪れる患者を診て、また、道路も満足になく、雪と氷の中をかき分け、馬に乗り、シケの海を船で渡り、往診に出かけたそうです。雪で閉ざされた村で、専門外の手術もせざるをえなかったこともあったとのこと。1年後、札幌の大学に戻ることが決まると、村人たちには留まることを懇願されたため、札幌へ戻ろうという思いを胸の中に秘めながらも、道下医師は地域の人々の気持ちに応えるようにして無我夢中で働きました。そして、約束の1年はとおに過ぎた赴任7年目の1960年(昭和35年)、医師の人生を変える大きな出来事が起こります。1960年5月23日にチリの太平洋沖を震源としたマグニチュード8.5の大地震により日本を含め環太平洋全域に津波が襲来しました。 地震発生から22時間後に地球の裏側から突然やってきた津波は、最大で6メートルの怪物となり三陸海岸沿岸を中心に襲い、村人142名が亡くなったそうです。これにより復興半ばにあった霧多布をも再び苦境に陥ってしまいました。津波にのまれ命を失った道下医師の旧知の人は11人を数え、津波の後には、けが人や、大発生した伝染病の対応で昼も夜もない日々が続いたそうです。そうした中でも、村人たちは壊滅状態の霧多布を捨てようとせず、復興のために闘いました。その地域の人々の姿が道下医師の目に焼きつきました。ある日、治療を受ける高校生が道下医師に向かって叫んだといいます。「俺たち、故郷は捨てられない!」。この言葉で道下医師は「故郷」について考えることになりました。「自分にとっての故郷とは?」「自分を本当に必要としてくれる多くの人々が暮らすこの霧多布こそ、自分にとっての故郷なのでは」と思うに至った道下医師は、昭和28年から平成12年までの実に47年間ものあいだ、霧多布の診療所で僻地医療に情熱を注ぎ奮闘したのです。

ここで再度モンキーパンチ氏の登場になりますが、モンキーパンチ氏は大好きな漫画を創作しつつ高校は定時制に進み、昼はこの道下医師の診療所でレントゲンフィルムの現像担当として働いていたそうです。高校卒業後の進路に悩んでいた氏は、ある日、道下医師に呼び止められ「卒業するまではいてもいい。でも、その後はどうするんだ?」と聞かれたそうです。続けて道下医師は「君には漫画があるじゃないか。その道にすすみなさい」と話されたといいます。氏はこの言葉で上京する決心をし、10年ほどの苦労の末、ルパン三世の大ヒットに恵まれたというわけです。御年81歳になりますが、未だに漫画やアニメ界に多大な影響を与えつつ、御自身もアクティブに活動されています。この小さな町から出た大物2人には実は深い関係があったということは非常に興味深いことだと思いました。

彼ら2人に共通して言えることは、浜中町ゆかりの人物であるということはもちろんですが、1番は、自分の天職というか、一生を捧げられるようなものを見つけたという事のような気がします。そういうものに出会った時、苦難を乗り越える勇気や希望を持ち続けることができるのではないでしょうか。私自身がこの年になって言うのも恥ずかしいですが、未だにこういったものを見つけられてないような気がしているわけで、たまたま北海道という同郷の方にこんな凄い人がいるならば、その空気だけでも感じてみようと訪れたのでした。ついでに、これから長い人生が待っている娘にも、何かを感じてもらえたらいいなあという気持ちもありました。宿泊した民宿で、そんなことを考えながら娘と一緒に食べた桜カニの味は、格別なものでした。

(先日15歳になった娘に、「ひっくり返したらパパの年だね」とどうでもいいことを言ってしまったのでしたが、そんなことに笑ってくれる彼女に感謝です)

モンキーパンチ