1年以上つぶやいていなかった事に加え、たまたまギターの練習をしていて頭に浮かんできたので、今回は医療とは少し離れ、私的な事を中心に書いてみました。お暇な方は読んでください。
“ギターとの出会いは人との出会いに似ている”
これは、私が作った言葉ではなく、どこかの有名な人が言った言葉です。
私は高校一年生のころからギターという楽器を弾いています。ギターを手にするきっかけは、母に勧められたからです。プロのギタリスト含め、多くの人がギターを手にしたきっかけとして「女の子にもてたかった」「親兄弟、友人の影響」「好きな曲やミュージシャンがいた」「歌うときの伴奏にしたい」「見た目のカッコよさにあこがれた」等をあげています。私のように自分の意志はまったくなく、しかも音楽の事などおよそ興味のない母から勧められて手にしたという人はまずいないでしょう。のちに母が僕にギターを勧めた理由を尋ねると、「もっと若者らしく、何かに興味を持ってほしかった」と返ってきました。そして、勧められるままになぜ私がギターをやろうと思ったのかというと、特に理由はないのです。“なんとなく、とりあえず”でした。
高校の入学祝いに質屋へ行って、当時7000円の中古のフォークギター(アコースティックギター)を買ってもらいました。最初は“誰でも弾けるフォークギター入門”という本を買ってきて“チューリップの花”だとか“ちょうちょ”なんかを単音で弾くことから始めた記憶があります。確かに誰でも弾けるのかもしれませんが、正直、高校生が“ちょうちょ”を弾いても、非情につまらなかったのです。ですが、なぜだかやめませんでした。その後、和音(コード)等を覚えていき、そのうち当時流行していた楽曲をいくつか弾けるようになりました。しかし、コードばかり弾けても、一緒に歌わないと曲にならない。いわゆる主旋律がない状態です。かといって歌えば音痴ですし、弾きながら同時に歌うことができません。さらに、ギターを始めた人の80%がここであきらめてやめてしまうと言われる「F」というコードの弾き方に私も手を焼き、「もっと弾きやすくて、旋律を弾くのが中心のエレキギターを買おう」と思ったのです。そして、数年貯まっていたお年玉でエレキギター(エレクトリックギター)を買いました。
最初は日本のポップスの、簡単で短いギターソロを練習していました。ある日、10歳年上の従兄弟の家へ遊びに行った時、彼の部屋にビートルズ、レッドツェッペリン、クリーム、フリー等といった1960年代、1970年代ころ、主にイギリスで大人気だったロック(ブリティッシュロック)のレコード(今は見たことない人も多いでしょう)がたくさんおいてあるのを目にしました。そしてそれを勝手に聞いてみたところ、物凄い衝撃を受けたのです。大音量の歪んだエレクトリックギターの音、フレーズ、テクニック、気持ちが高鳴るような楽曲の数々。そこから真面目にギターに取り組み始め、大学の受験直前まで朝から夜までギターを練習しました。そしてその結果、おかげさまで浪人してしまいました。浪人した時に父は母に向かって、“お前がギターなんか勧めるからだ!”とぶつけ、喧嘩になってしまいました。母には申し訳ないことをしたなと思いました。その後、何とか山梨県で医大生になった私は、ある音楽塾に通いました。そこではたった1つの音をメトロノームに合わせる練習をひたすらさせられ、それ以外のことはほとんどしません。音楽塾の先生は「俺の所に通う奴は、教え方が素晴らしいと思うか、騙されたと思うかどちらかだ」と言うような方でしたが、以前は東京でプロのスタジオミュージシャンをやっていたJazzピアニストで、一流のミュージシャンでした。そうはいっても、ギタリストではありません。そもそもピアニストがギタリストまで教えるというのも腑に落ちませんし、その上、譜面も読めない方でした。それでも私は信じて通っていたのです。結果的には大学卒業のためそこの塾を辞めるときに「お前、医者になるのやめて、東京出てプロめざせ」と言われるまでに上達しました(先生のおかげだと、自分では思っています)。その後もギターから離れることなく、50歳を目の前にした今でさえ、ロックバンドやアコースティックユニットで夜な夜な月2回位の練習、ライブを行っています。
自分が辛い時、うれしい時、悲しい時、どんな時でもギターは私の傍らにありますが、その瞬間にそういった感情を表現するのではなく、ちょっと時間を置いて冷静に自分を見つめられるようになった時に、その時の自分の内面を映し出す鏡のような存在として、ギターはあります。何らかの感情がピークに達した時、すなわち自分で自分をコントロールできない時は、ギターなんて、見るのも嫌になります。例えば失恋をして慰めにギターを弾くような気にはとてもならないのです。しかし、冷静になっときはもう一度自分を見つめなおさねばなりません。そうなった時にギターが無性に弾きたくなるのです。主に演奏楽曲はオリジナルではなくて、自分たちが好きな既成曲をやるわけですが、ギターパートは雰囲気などある程度オリジナルを世襲するものの、大部分はその場で旋律を作る即興=アドリブです。広い意味で言えば、アドリブは間違いが存在しえないかわりに、自分の言いたい事や感情を素直に適切に表現しないと、全く聴衆の心には響かないものです。ライブが終わった後、聴いてくれた人から「上手いね!」とか「いい音だったよ」とか「めちゃくちゃカッコいいじゃん!」などと言われた時、「自分の言いたい事が伝わったのだな」と、うれしいというより安堵のような気持になります。受け取り方は人それぞれなので、おそらく何とも思わないとか、全く良くないとか、下手くそとか思う人も多いと思いますが「まあ、あまり好きじゃないけどあそこは良いところがあったな、、、」と1曲でも、いや一瞬でもそういう気持ちにできればそれでいいと思っています。
言葉が好きな人は、やはり歌(ボーカルパート)を好みます。多分、ギターパートなんておまけだと感じているでしょう。でも私にとってはボーカルパートがおまけです(ボーカルの人すいません)。ボーカル=歌=言葉はどんなに根性がまがったひとでも、愛の歌や慈しみの歌を上手に歌えばそれなりの評価が得られますが、そこには嘘がまじります。言葉のない楽器は、音だけで感情や情景、ストーリーを表現しなければならないので、嘘は通用しません。正直に素直に弾けば、少なくとも人を心地悪くさせることはないと思います。だから私的にはギター弾きは良くも悪くもみんな、バカ正直で誠実な人たちだと思うのです。
長々と書いてしまいましたが、ギターは私にとって、全く無意識・無関心であったところから、知らず知らずのうちに切っても切り離せないものになりました。正直、今でも何よりも大好きかと聞かれると、そうでもないのかもしれないと思うときがあります。しかし、なぜだかいつも自分の近くにあることが多く、しばらく弾かなくても、数か月経ってふとしたときにまた弾いているのです。たいして好きでもなく始めたギターが、気が付いたら自分と一体化していました。そんなわけで、ギターは十分、自分にとって有益なものであるということが分かったのです。これからの課題は、ギター弾きの自分が自分のことだけではなくて、もっと人のため何か役に立たないか?ということです。結構強引な引き合わせだと思いますが、まずは小さいことでもいいと思っています。音楽ボランティアの活動を見聞きすることもあり、それに近い何かがないか今は思案中ですが、もう少し練習も必要になるでしょう。それ以前に本職の方も、さらにきちんとしなければならないし。。。
母が私にギターを勧めた理由はともかく、もしかすると自分の子どもの感性に合うという直感が働いたのかもしれません。無意識のうちに示した真意があるとすれば、生涯、傍らにあり、つきあい、支えていくものを与えたいという母親の本能だったのかもしれません。私は自分の子どもにそういった俗にいう“一生もん”みたいなものを何か啓示できるのかどうか、今は全くもってわかりません。多分、まだ何もできていないに等しいのではないかと思います。もちろんそれは楽器でなくて、スポーツ、学問、絵画など、さらに極端に言えば見えるものではない、感性、思想、哲学、倫理観などでもいいのかもしれません(強制はいけませんが)。とにかく、子どもにとって支えや、信念となり、より豊かで幸せな人生を送っていける手助けになるようなものを与えられたらいいのだと思っています。ただし、特に見えないものは非常に危険でもあります。一歩間違えれば、全く逆の意味を生んでしまうかもしれないからです。けれど見えないものこそ、無意識に与えてしまっているおそれがありますし、私は自分の子どもにこういった無意識のうちに見えない悪い影響を与えてはいやしないかと、いつも心配になります。目に見えない分野の詳細について私は苦手で、いつの日か、専門的に詳しい看護師長にこの場をお譲りします。
もしあの時、母がギターではなくバイオリンを勧めていたら、今頃こういった話は書けなかったでしょう。それだけではなく、私の人生は大きく変わっていたかもしれません。それは、ギターによって多くの人と出会うことになりましたし、それをきっかけに新しいバンドが生まれたり、音楽以外の場でも付き合いをもつ機会が増えてきたからです。人との繋がりが増えてくるということは、すなわち良くも悪くも、人生を左右する事柄が増えるのです。母が私にギターを与えたという話は、たった一つの例にすぎません。ですが、子どもたちの周りにいる親もしくは大人たちが何気なく与えるものというのは(物であっても、言葉や思想であっても)、子どもの未来に大きな影響を及ぼすのではないかと思います。自分も含めてですが、私たちは子どもをよく観て、その子の本質を見抜き、適切な方向性を示せるよう、子どもに対する言動に常に気を配って接していかねばならないと思うに至っています。
最後に、私の本質を見事に見抜き、生涯の支えになるようなものを与えてくれた遠く北海道に住む母に感謝したいです。
(かつて一度だけ母は私のライブをみましたが、感想は相当ギターがうるさかったという事でした)。
西荻窪でのおやじロックライブにて(ソロではありません。バンドです)